不定時法とは何か
不定時法とは、日の出から日の入りまでの「昼」と、日の入りから日の出までの「夜」を、それぞれ6等分して時刻を定める方法です。6等分された1つの区切りを「一刻(いっとき)」と呼びます。
昼と夜の長さは季節によって変わります。夏は昼が長く夜が短い。冬はその逆です。不定時法では、その変化をそのまま時間に反映させます。夏の昼の一刻は約2時間半にもなり、冬の昼の一刻は1時間半ほどに縮みます。つまり「1時間」の長さが、季節と昼夜で常に変わり続けるのです。
不定時法は明治6年(1873年)の改暦まで、数百年にわたって日本の公式な時法として使われ続けました。
十二支と鐘の数――江戸の時刻の呼び方
江戸時代の時刻には、2種類の呼び方がありました。
ひとつは十二支による呼び方です。真夜中を「子(ね)の刻」とし、丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥と、2時間刻みで十二支を割り振りました。「正午」という言葉は「午の刻のど真ん中」が語源ですし、「おやつ」は「八つ時(昼八つ)」に食べた間食が語源です。
もうひとつは、鐘の打ち数による呼び方です。子の刻と午の刻を「九つ」とし、そこから一刻ごとに八つ・七つ・六つ・五つ・四つと減らします。四つまで行くとまた九つに戻ります。夜明けの「明け六つ」、日暮れの「暮れ六つ」は、まさに鐘が6回鳴ることから付いた名前です。
時の鐘――江戸の街に響いた時報
時計を持たない庶民にとって、時刻を知る手段は「時の鐘」でした。寺や鐘楼に設置された大鐘を定刻に打ち鳴らし、音で時を告げたのです。
江戸の時の鐘で最も有名なのは、日本橋の本石町(ほんこくちょう)に置かれた鐘です。上野の寛永寺も時の鐘を持ち、寛文6年(1666年)に鋳造されたこの鐘は、形を変えながら現在も上野公園に残り、朝夕6時と正午に鳴らされています。
打ち方にも工夫がありました。まず人々に「これから時を告げるぞ」と知らせるための「捨て鐘」を3回打ちます。そのあとで、刻の数だけ本番の鐘を鳴らしました。最初はゆっくり、次第に間隔を詰めて打ったため、途中から聞いた人でも今何刻かが分かるようになっていたそうです。
鐘の音が届く範囲は限られていたため、江戸市中だけでも石町、上野、赤坂、芝など数か所に時の鐘が設置され、リレーのように順番に打ち鳴らされていました。
和時計――世界に類を見ない日本独自の時計
戦国時代の天文18年(1549年)、フランシスコ・ザビエルが日本にヨーロッパの機械式時計をもたらしました。しかし西洋の時計は定時法(1時間が常に同じ長さ)に基づいて作られています。季節で時間の長さが変わる不定時法に対応するためには、日本独自の改良が必要でした。こうして生まれたのが「和時計」です。
和時計の技術者たちは、不定時法に合わせるため、主に2つの方法を考案しました。
「棒てんぷ」と呼ばれる往復運動する部品の両端に分銅を付け、その位置を内側・外側に動かすことで、時計の進む速さを調節しました。初期の「一挺天符(いっちょうてんぷ)」では、昼と夜で毎日2回、手動で分銅を移動させる必要がありました。
17世紀末には画期的な発明が生まれます。「二挺天符(にちょうてんぷ)」です。昼用と夜用の2つの棒てんぷを内蔵し、日の出と日の入りのタイミングで自動的に切り替わる仕組みを実現しました。これにより、分銅の調整は季節の変わり目(二十四節気ごと)に年24回行うだけでよくなったのです。
文字盤の目盛り(割駒)を季節に応じて手動で動かし、昼夜の刻の幅を変えました。時計自体は一定速度で動かしつつ、読み取り側で補正するという発想です。
いずれの方式も、世界の時計史において極めて独自性の高い発明で、現在も国内外のコレクターに高い人気を持っています。ただし、大変に高価な品であったため、所有できたのは一部の大名や豪商に限られていました。
明治の改暦――不定時法の終わり
明治5年(1872年)11月9日、明治政府は改暦の布告を出し、翌明治6年1月1日から太陽暦と定時法への切り替えが行われました。不定時法は公式に廃止され、1日24時間・1時間60分の現在の時法が採用されます。
この切り替えは、近代化を急ぐ明治政府にとって必須でしたが、庶民にとっては大きな生活の変化でした。太陽に寄り添っていた時間が、機械的に均一化されたのです。和時計もその役目を終え、やがて姿を消していきました。
実物の和時計を手に入れたくなったら
不定時法の世界を知ると、「実際に手元に和時計が欲しい」と思う方も多いのではないでしょうか。現代で入手できる和時計にはいくつかの選択肢があります。
江戸之刻(えどのとき)|現代に蘇った不定時法の腕時計
キャストプランニングが製造する「江戸之刻」は、現代で手に入る数少ない不定時法対応の時計です。通常の24時間針に加え、月ごとに交換する12枚の干支リングを使って、季節に応じた不定時法の時刻を表示できます。腕巻き仕様と懐中仕様があり、金・銀・鈍(にび)の3色展開。職人がディテールに一切妥協せず仕上げた逸品です。
干支リングの黒い部分は夜を、白い部分は昼を表し、十二支の呼び方と鐘の打ち数も表示されているので、「卯の刻、明け六つ」といった江戸の時刻が即座に分かります。
菊野昌宏氏の「不定時法腕時計」|世界唯一の自動割駒式
独立時計師・菊野昌宏氏が2011年に製作した不定時法腕時計は、十二支の駒が季節の変化に伴って自動的に移動する、世界初の機構を持つ芸術品です。ひとつひとつ手作りのため、受注生産で価格は税抜1,800万円〜。菊野昌宏氏の公式サイトで、その精巧なメカニズムを動画で確認できます。
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150年前に消えた不定時法ですが、その「太陽とともに伸び縮みする時間」は、現代の私たちにも新鮮な発見をもたらしてくれます。
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